歴史の重み。

外を歩いている時、

または、どこかの部屋に入った時、

 

言葉には言い表すことの出来ないような違和感を味わうことがあります。

 

その場所で、過去に何があったのかはわからないけれど、

多次元に、同じ空間を共有しているとしか思えないような何かです。

 

例えば、

今この次元では、目の前に横断歩道があるだけなのに、

どこかの次元では、この横断歩道の上では馬のひずめが聞こえてきます、

みたいなね。

 

単純に、わたしの霊感が、

そのような次元にフォーカスしてるだけのことと思って、

気のせいにしておくことのほうが多いのですが、

 

富士山を歩いている時にも、

時々このような感覚に襲われることがあります。

 

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その視点から見た時、

富士山の富士宮ルートは、何もない陽気な登山道で、

急勾配のきつさはともかく、安心して歩ける登山道です。景色もいいし。

(あくまでもわたしの個人的意見です。)

 

でも、樹林地帯の御胎内付近や御殿庭上付近は、

なんともいえない空気の重さがあります。

わたしは富士山が大好きなので、大事に丁寧に歩きますが、

場所によっては長居したくない気持ちも伴う箇所がいくつかあります。

なのに、帰ってくるとまた行きたくなる気持ちになるのも不思議です。

両極端なものが共存しているような。

 

特に、それらを強烈に感じるのは須走ルート。

(これもわたしの個人的意見です。)

 

須走ルートは、わたしにとって

一年に一度は必ず訪れておきたい大切なルートなんですけどね。

 

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登山口(5合目)は、標高2000のところにあり、

少し歩くと、古御岳神社があります。

木花開耶姫のお父様でもある大山祇命(おおやまつみのみこと)が

祀られています。

ここで安全祈願をしてから出発します。

 

この付近は、小さい空間でありながらも、

荘厳な雰囲気に包まれており、

ちょっと気持ちが引き締まるんです。

 

さぁ、行くぞ!ってね。

 

そして歩き出すのですけど、重い・・・空気が重いのです('_')

美しい樹林地帯だし緑の香りもあるのですけど、なんだろう、重いのです。

 

最初の頃は、わたしの体力的な問題だと思ってましたし、

スタート地点からして雲の上ですから、

富士山は普通に歩くと息が上がるし、

もっと遅く歩いたほうがいいのかなぁという感じで、

そういう意味で、空気が重く感じて、きついのかと思っていました。

 

でも、何度も富士山に通っているうちに感じるようになったのは、

この重さは、体力的なことだけではないぞってこと。

 

富士宮ルートで同じ重さを感じたことはないし、

御殿場ルートを歩いている時に感じるものでもないからです。

 

歩き出す前から、

登山口(5合目)に向かう登山バスの中で、

樹林地帯を通りながらすでに重さを感じるので。

 

もっと何か、違うもの、

この場所は、どんな歴史があったのだろう?

何かあったのかなぁ???

そういう歴史的背景を意識するようになりました。

そのうち、調べてみよう。。。と。

 

調べる間もなく、答えが飛んできました。

 

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先日、富士山検定を取得された方と一緒に

山小屋閉めのお手伝いしていた時に、このことを尋ねてみたんです。

 

すると、宝永噴火の時代のお話になりました。

(富士山の南東に位置する宝永火口です。)

 

宝永の噴火が起きたのは、1700年代の頃です。

(宝永4年11月23日と言われています。)

 

火山砂礫が大量に降り注ぎ、

それが2週間くらい降り続けたそうで、

昼間でも夜のような暗さだったそうです。

 

そして噴火口からもっとも近い須走村は、壊滅状態に。

降り積もった噴火物によって、その高さは3m以上に達したそう。

 

噴火が終わって、

避難先から須走村に戻ってきた人たちを待ち受けていたのは、

一面に広がる火山砂地。

農耕地はすべて崩壊してしまったので、収穫することも出来なくなり。

今の時代のように便利な機械がたくさんあったわけじゃないし、

砂を取り除くことも困難でした。

 

その後、深刻な大飢饉が発生したそうです。

 

さらにさらに。

雨が降るたびに、いろんなものが流れてしまいました。

 

大量の焼け砂が防水堤に溜まりだし、

翌年は激しい豪雨もあり、防水堤が決壊。

濁流がすべてを呑み込んでしまい、何もかも消えてしまったそうです。

 

長く続いた二次災害によって、

当時の方々はとても大変だったと思います。

 

そして、このとき、復興に向けて全力を尽くしてくれた方が、

伊奈半左衛門忠順(いなはんざえもんただのぶ)。

宝永の噴火の時、幕府の命を受けて、災害対策に当たってくださった人です。

 

復興までの道のりは、とても困難だったそうです。

被災している方々の食糧不足が続いていたため、

伊奈半左衛門忠順は、それを見かねて、幕府の御蔵米を開放して、

被災してた方々を救ったそうです。

そのことで、責任を取らなければならなくなり、お役御免となり、

切腹を命じられたそう。

 

むごいお話です(T_T)

 

3メートルの焼け砂で埋まってしまった須走村は、

ほとんどの砂が埋まったままで、

現在の市街地は、その上に建てられたものだそう。

 

お話を聞かせて頂きながら、

富士山の長い歴史の一部に自分が入り込んでしまったようで、

自分の意識を現代に戻すために少しの時間がかかりました。

 

現在の須走ルートは、

緑豊かな登山道で、見事に再生しています。

須走ルートを歩いている時、ときどき感じる重さは、

現在を支えてくれている過去の数々なのでしょうか。

 

知らないことがたくさんあります。

大好きな富士山のことを、もっと知りたくなりました。

 

なぜわたしが富士山をこんなに大好きなのかはわかりません。

これからも大切に歩きたいと思っています。

 

ありがとうございます。。。☆